東京パラリンピック(東京2020)車いすバスケットボール女子の日本代表に藤井郁美(ふじいいくみ)選手が出場!

 

藤井郁美選手は、東京パラリンピックで金メダル獲得が期待されている車いすバスケットボール女子で網本麻里選手とともに共同キャプテンをつとめます。

MEMO

8月25日(水)17:00~

  • 車いすバスケットボール女子1次リーグA組第2試合 日本代表出場!
  • 対戦国→オーストラリア
  • 放送予定→NHK BS1(16:50)

 

この記事では、

  • 藤井郁美選手のwikiプロフィール(出身中学高校大学)は?
  • 藤井郁美選手は結婚してるの?旦那や家族は?
  • 藤井郁美選手の経歴や病気・成績は?

についてまとめました。

 

パラリンピックでの活躍を期待してみんなで応援しましょう!!

藤井郁美選手のwikiプロフィール(出身中学高校大学)は?

 

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藤井郁美選手のwiki風プロフィール

 

    • 氏名:藤井郁美(ふじい いくみ)
    • 旧姓:井上、田久保
    • ニックネーム:イクミ
    • 生年月日:1982年(昭和57)11月2日生まれ
    • 年齢:38歳
    • 出身地:神奈川県横浜市
    • 身長・体重:159センチ
    • 出場種目:車いすバスケットボール女子
    • ポジション:フォワード
    • ポジションクラス:4.0クラス(※) 右下肢機能障害
    • 所属
      ・株式会社電通デジタル
      ・SCRATCH(2009年に東北地方で初めて作られた女子車いすバスケットボールチーム
      宮城MAX(男子チーム)

※2021年8月現在

※一般のバスケットボールのルールとほぼ同じで、1チーム5人の選手がボールを奪いあい、
一般の競技と同じ高さのゴールにボールを投げ入れて、得点を競います。
選手には各々障害レベルの重い者の順から1.0-4.5の持ち点が定められており、
試合中コート上の5人の持ち点の合計が14.0を超えてはなりません。
ゲームは10分のピリオドを4回行います。

 

藤井郁美選手の学歴(出身中学校・高校・大学)は?

 

藤井郁美選手の学歴(母校)を調べてみました。

 

  • 小学校 :横浜市立万騎が原(まきがはら)小学校(横浜市旭区)
  • 中学校 :横浜市立万騎が原(まきがはら)中学校(横浜市旭区)
  • 出身高校:神奈川県立商工高等学校卒業(横浜市保土ヶ谷区)

 

藤井郁美選手は結婚(離婚)してるの?旦那や家族は?

 

藤井郁美選手のプロフィールを調べていた時に、旧姓が2つあったので調べてみたところ、1度離婚して現在は再婚されていることがわかりました。

 

現在の旦那様は、藤井郁美選手の所属する男子バスケットボールチーム「宮城MAX」で一緒にプレイする藤井慎吾選手です。現在はチームのヘッドコーチとしてチームの指導育成に携わっています。

藤井郁美選手と慎吾さんの出会いは、2008年に藤井郁美選手が横浜のチームから慎吾さんの所属する宮城MAXに移籍した時です。

藤井慎吾選手プロフィール
  • 氏名:藤井 新悟(ふじい しんご)
  • 生年月日:1978年(昭和53年)1月2日(43歳)
  • 出身地:秋田県
  • 所属:宮城MAX
  • 車いすバスケ:19歳の時にスキーで脊髄を損傷。20歳で車いすバスケに出会う。

 

 

 

実は、藤井郁美選手は車いすバスケを始めたころに出会った、元・日本代表の田久保敏光選手と結婚されていました。宮城MAXに移籍した当時は「単身赴任」と過去のインタビューで答えていますので、2008年時点では『田久保郁美』さんだったようです。離婚の時期などについては詳しく分かりませんでした。

 

そして2012年に藤井新悟選手と結婚し、2014年12月に長男の蒼空(そら)くんを出産されました。現在は6歳でしょうか。

弟や妹の写真は全く投稿されていませんので、現在も3人家族だと思われます。(2019年7月現在は3人家族でした。今回パラリンピックに出場することを考えるとその後の出産はなさそうですね。)

 

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↑ 蒼空くんが2~3歳の頃。

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↑ 母親にとって一番のエールになる「息子」からの応援メッセージ!

藤井郁美選手の経歴や病気・成績は?

経歴

 

藤井郁美さんはお兄さんの影響で小学校3年生からバスケットボールを始めました。

中学校では、試合で常にスタメン、強豪校からの推薦が来るほどの選手だったそうですが、

中学3年生の時、右ヒザに痛みを覚えて病院に行ったところ、悪性の骨肉腫と診断され、大腿(だいたい)部と膝関節を切除し、人工関節にする大きな手術と1年間に及ぶ抗癌剤治療を受けたそうです。

医師からは「大丈夫、ちゃんと元に戻るよ」と言われたものの、結局「歩けるようになっただけ」。今までのように走ったり跳んだりするバスケはできなくなってしまいました。

1年遅れで高校に進学してバスケットボール部のマネジャーになりました。

この時のバスケ部顧問の先生が、神奈川県内の車いすバスケチームのコーチを兼任していて、藤井郁美選手に車いすバスケのプレーヤーへの道を勧めてくれたそうです。

 

その後、高校3年生で初めて車いすバスケを始めました。最初はあまり乗り気ではなかったようですが、2002年(20歳)から本格的にプレイするようになります。中学校で培ったバスケの実力もあってぐんぐん上達し、ベテラン選手から「君なら日本代表だって夢じゃないよ」神奈川県のチーム入りを進められたそうです。

 

3年後には早くも日本代表に選出されました。2006年のオランダでの世界選手権でアメリカチームとのレベルの差に衝撃を受けた藤井郁美選手。世界と互角に戦うために高いレベルの練習環境を求めて男子チームである「宮城MAX」へ移籍しました。

 

この宮城MAXは、女子日本代表の岩佐義明ヘッドコーチが発足当初から指導しているチームで、藤井郁美選手は北京パラリンピックに向けて、住み慣れた横浜を離れて宮城へ移籍したのです。シュートの腕を磨き、習得した「クイックで打てるアウトサイドシュート」や「フェイドアウェイシュート」は藤井郁美選手の大きな武器になっています。

 

そして、北京パラリンピックで日本代表に選出され、チームは予選を突破したものの4位入賞とメダル獲得はなりませんでした。続くロンドンパラリンピック(2012年)、リオパラリンピック(2016年)は出場権を逃してしまいました。

 

そして、東京オリンピックの出場権を得た日本代表のメンバーに選出され、チームのキャプテンとして大活躍が期待されます。

 

3度の病気

 

中学3年生の悪性骨肉腫で車いす生活になった藤井郁美選手ですが、19歳の時には「潰瘍性大腸炎」で大腸を全摘出しています。

更に、蒼空君を出産後の2017年に乳がんと診断され、右の乳房を摘出されたそうです。

 

病気や出産などでブランクや体調面の不安などがあるとは思いますが、不屈の精神で立ち上がり復帰され、代表の座を獲得している藤井郁美選手を本当に尊敬します。

 

▼パラリンピック

  • 2008年:北京パラリンピック4位

▼大会成績

  • 2006年:アムステルダム世界選手権(オランダ) 6位 (日本代表)
  • 2010年:バーミンガム世界選手権(イギリス) 7位 (日本代表)
  • 2017年:第45回日本車椅子バスケットボール選手権大会
    (宮城MAX)1位  ※藤井郁美選手 ベスト5受賞
  • 2018年:インドネシア2018アジアパラ競技大会 2位
  • 2019年:IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップス(タイ)3位

まとめ

 

この記事では、

  • 藤井郁美選手のwikiプロフィール(出身中学高校大学)は?
  • 藤井郁美選手は結婚してるの?旦那や家族は?
  • 藤井郁美選手の経歴や病気・成績は?

についてまとめました。

参考にしていただければ幸いです。お読みいただきありがとうございました!

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