いよいよ3月19日(金)から「第93回選抜高等学校野球大会」が開催されますね!

甲子園球場での熱い戦いが3月31日(水)まで繰り広げられますが、

昨年の第92回大会、そして第102回全国高等学校野球選手権大会までもが

中止となっていただけに、期待が高まります。

 

また、ここで活躍した選手の中から将来プロ野球のスターとなる選手もたくさんいるわけで、

そんな選手の姿にも注目が集まりますが、

高校野球通の方の中には、選手と同時に監督にも注目されている方もいるのではないでしょうか?

 

そこで今回は、

「第93回選抜高等学校野球大会」出場校の一つで、

今回のセンバツ大会出場監督の中で最高齢で4つの高校を甲子園に導いた名将

「専大松戸高校」の持丸修一監督について、

  • 高校野球監督歴
  • 出身校など経歴・著書のこと
  • 家族や息子のこと

など、調査していきます。

 

【専大松戸】

 

持丸修一(専大松戸)監督歴

  • 竜ケ崎一高校野球部コーチ(1972年4月~1975年8月)1975年夏の甲子園出場
  • 竜ケ崎一高校野球部監督(1975年9月~1996年3月)1990年、91年の2年連続夏の甲子園出場
  • 藤代高校野球部監督(1997年4月~2003年7月)2001年と2003年の選抜に出場
  • 常総学院野球部監督(2003年9月~2007年8月)2005年の選抜・2006年、07年夏の甲子園出場
  • 専大松戸高校野球部監督(2007年12月~)2015年夏、2021年選抜出場

 

持丸修一監督は、1971年23歳の時に聴講生として勉強しながら、母校竜ケ崎一校のグラウンドに通うようになり、

24歳の時に社会科教諭として正式に採用されると、竜ケ崎一校野球部のコーチに就きました。

そこから3年ほど、1975年にはコーチとして夏の甲子園に出場も果たしています。

そしてこの甲子園の後、当時の菅原監督が退任したのを機に27歳にして監督に就いています。

ここではなかなか成績が出せず、一部OBからは解任を促すような話も出ていたそうですが、

1978年夏の大会で結果を残たことから、その後は監督交代の話も出なくなり、

1990年、91年と2年連続で夏の甲子園に出場を果たし、1996年3月まで監督を務めあげました。

 

1997年4月~2003年7月までは、藤代高校で野球部監督を務めていますが、

1996年赴任当時は野球部の監督を務めるつもりは全くなく、周りの強い勧めで監督についたとのこと。

ここでは、2001年と2003年の選抜に出場、後にドラフト1位でヤクルトに入る野口祥順や、

現在ロッテマーリーンズの投手:美馬学などを発掘しています。

 

2003年9月には常総学院の監督に就任しましたが、このときも当初は監督をやるつもりがなく、

常総学院野球部前監督の木内幸男氏からのオファーを引き受ける形で、それでも

当初10年間の要請をされたもの長くやるつもりはなく、期間を短くしてもらったとのこと。

常総学院は、もともと木内監督の下甲子園の常連校ではありましたが、持丸監督就任時にも

2005年の選抜・2006年、07年夏の甲子園出場を果たしています。

 

そして常総学院の監督を退いた07年夏、専大松戸の富山尚徳理事長から

「若者は宝物、高校野球は日本の文化。甲子園に出ないよりは出た方がいいが、

野球を通じて成長させてほしい」と熱心に誘われ、

12月から野球部監督に就任、ここでもまた2015年夏、専大松戸としては学校初となる

甲子園出場を遂げ、2021年選抜への出場を控えています。

 

 

持丸修一(仙台松戸)監督の経歴・プロフィール

 

  • 名前:持丸修一
  • 読み方:もちまるしゅういち
  • 生年月日:1948年4月17日(72歳)
  • 出身地:茨城県
  • 出身高校:竜ヶ崎一高等学校
  • 出身大学:國學院大學
  • ポジション:内野手
  • 職歴:高校教員(社会科:歴史)/高校野球部監督
  • コーチ・監督歴:竜ケ崎一高校野球部コーチ — 竜ケ崎一高校野球部監督 ー 藤代高校野球部監督 ー 常総学院野球部監督 ー 専大松戸高校野球部監督
  • 家族:妻・息子夫妻・孫
  • 著書:信じる力

 

持丸修一監督は、1948年4月17日茨城県出身、

今年の選抜高等学校野球大会出場校監督の中で最高齢の72歳です。

小学校低学年から遊びで野球をはじめ、チームに入ったのは小学校5年生。

地元の藤代中学に進んでからは、野球部に入学しました。

高校は地元の伝統校竜ケ崎一校へ進学し野球部に入部、3年夏に甲子園にも出場しています。

大学は國學院大學へ進学、野球部に所属するもののリーグ戦への出場経験もせず、

4年間あまり良い思い出もなく過ごしたそうです。

大学卒業後は高校時代の恩師菅原進監督に誘われ、1年間聴講生として授業を受け教員免許を取得、

1971年、母校竜ヶ崎一高校の歴史の教員として就職し、野球部のコーチを務めるようになります。

その後、1975年9月には27歳で監督就任、1990年、91年と夏に2年連続甲子園に出場。

1996年に藤代高校へ異動となり、監督としては2001年と03年のセンバツ出場。

2003年年9月からは常総学院の監督に就任し、2005年センバツ、2006年、07年夏の甲子園出場を果たしました。

そして、2007年12月から専大松戸の監督となり、2015年夏に学校初となる甲子園出場を遂げ、

これで竜ヶ崎一、藤代、常総学院、専大松戸と率いた4校すべてで甲子園への出場を果たしました。

ご家族は奥さんと息子の信彰さん、

信彰さんも竜ケ崎一校のの野球部出身で、すでに独立されておりその息子、

持丸監督にとってはお孫さんにあたる竜聖くんも竜ケ崎一校の野球部に所属、

2020年は3年生で地方大会への出場の応援には持丸監督も駆けつけていました。

 

また2020年7月には初の著書である、「信じる力」(竹書房)が出版され、

野球についてだけでなく、人生論、教育論としても高い評価を得ています。

 

 

持丸修一監督(専大松戸) まとめ

ここまで、

3月19日(金)から「第93回選抜高等学校野球大会」が開催されるにあたり、

大会出場校のうち最高齢の監督でもある、持丸修一監督(専大松戸) について、

  • 高校野球監督歴
  • 出身校など経歴・著書のこと
  • 家族や息子のこと

など、調査してきました。

 

持丸修一監督は1948年4月17日茨城県出身の72歳。

地元の伝統校竜ケ崎一校の野球部で3年の時に夏の甲子園に出場、大学は國學院大學へ進学、

大学卒業後は高校時代の恩師菅原進監督に誘われ、1971年、母校竜ヶ崎一高校教員として就職、

野球部のコーチを務めるようになります。

その後、1975年9月には27歳で監督就任、1996年に藤代高校へ異動となり野球部監督に就任。

2003年年9月からは常総学院の監督に専任し、2007年12月から専大松戸の監督となり、

2015年夏に学校初となる甲子園出場を遂げたことで、

竜ヶ崎一、藤代、常総学院、専大松戸と率いた4校すべてで甲子園への出場を果たしました。

息子さんお孫さんと3代で竜ヶ崎一校の野球部に所属し、

2020年は孫の竜聖くんが3年生で出場した地方大会の応援にも駆けつけていました。

また2020年7月に出版された初の著書「信じる力」(竹書房)は、

野球についてだけでなく、人生論、教育論としても高い評価を得ています。

 

そんな持丸監督率いる専大松戸高校が、初のセンバツ出場となる3月19日からの第93回大会で

どんな活躍を見せてくれるのか、ますます楽しみになりますね。

 

【専大松戸】

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