20221年東京オリンピックへに出場が決まっている、フェンシング・フルーレ選手の敷根崇裕(しきね・たかひろ)さん。
3月に行われたドーハ大会ではマインハルト(アメリカ)に11-15で敗れ銀メダルを獲得しましたが、日本勢では2010年の太田雄貴(現日本協会会長)以来11年ぶりのグランプリ表彰台となりました。
試合後に更新された国際連盟のランキングでは日本人最上位の12位に浮上し、敷根崇裕さんは初めてのオリンピック代表に決まりました。
この記事では、
- 敷根崇裕さんの出身高校・大学・身長などプロフィールまとめ!
- 敷根崇裕さんのフェンシング経歴や戦績・世界ランキングまとめ!
- 敷根崇裕さんの両親や兄弟の経歴もすごい!
- まとめ
などについてリサーチしてまとめましたので、さっそく見ていきましょう。
敷根崇裕の出身高校・大学・身長などwikiプロフィールまとめ!
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- 本名:敷根崇裕(しきね・たかひろ)
- 性別:男性
- 年齢:23歳(2021年6月現在)
- 生年月日:1997年12月7日
- 身長:182㎝
- 体重:74㎏
- 出身:大分県大分市
- 高校:東亜学園高等学校
- 大学:法政大学法学部法律学科
- YouTubeチャンネル:なし
- Twitter:敷根崇裕
- Instagram:Shikine_Fencing
- 所属:NEXUS
以上が敷根崇裕さんの基本的なプロフィールとなります。
年齢は現在23歳と、他のオリンピック出場のフェンシング選手としても若いほうで、敷根崇裕さんはフェンシングでもエペではなくフルーレで活躍されているのが特徴です。
身長は180㎝と高く。体重は74㎏と高身長・筋肉質な身体の持ち主であることがうかがえます。
SNSはTwitterやInstagramで活動されており、ツイートや写真など画像を見ることが出来ます。
敷根崇裕の通っていた高校は東京の中野区上高田にある私立高校の東亜学園高等学校という私立の高校です。
東亜学園高校のフェンシング部は毎年インターハイに出場し、全国制覇10回と華々しい成果を上げている高校で、
敷根崇裕選手の一つ上に松山恭助選手というこちらも東京オリンピックフェンシングフルーレに出場される選手がいます。
敷根崇裕選手が2年生の頃に松山恭助選手とともに全日本選手権団体優勝という高校生初の快挙を成し遂げています。
大学は法政大学を卒業されています。見延和靖選手さんが通われていた大学で有名ですね。
法政大学フェンシング部は1935年に創部され、日本で一番歴史のある部となります。
法政大学はフェンシングの強豪校として有名で、創部以降多くの選手を輩出してきました。
見延和靖選手のほかにも、吉田健人選手や西藤俊哉選手などがいます。
敷根崇裕のフェンシング経歴や戦績・世界ランキングまとめ!
- 2016年:世界ジュニア・カデ選手権大会 フルーレ個人・団体 優勝
- 2017年:世界選手権(ライブチヒ) フルーレ個人 3位
- 2017年:夏季ユニバーシアード 男子フルーレ団体 優勝
- 2018年:アジア選手権大会(ジャカルタ) フルーレ団体 3位
- 2019年:アジア選手権大会(千葉) フルーレ個人・団体 優勝
- 2021年グランプリドーハ大会 フルーレ個人 優勝
以上が敷根崇裕選手の戦績となります。
#フェンシング
3月のドーハGPで銀メダルを獲得し、GP男子 #フルーレ としては11年ぶりとなる表彰台に上った #敷根崇裕 は、自身初となるオリンピックに内定しました。#法政大学 時代に世界3位となるも、そこからの3年間は苦しみました。その日々が敷根の力になっています。https://t.co/zyiihHQgGZ— 4years. (@4years_media) May 19, 2021
数多くの大会に出場され、個人でも団体でも優勝など上位にランクインしていますね。
それほどの腕の持ち主であることが分かります。
敷根崇裕選手は幼少期に父親の監督するフェンシング部へ出かけたのをきっかけにフェンシングを習い始め。中学までは父親の指導のもと活動されていました。
このように幼少期から英才教育を受けていたため負け知らずで敵がいないという実力を発揮していましたが、小学5年生のころに初めて挫折を経験します。
どう戦っても歯が立たず、その相手は大東亜学園高等学校でともに団体戦に出場した松山恭助選手だったようです。
そこから敷根崇裕選手は松山恭助選手を目標とし、彼を追いかける形で東亜学園高等学校を選んだのだとか。
そこで敷根崇裕選手は松山恭助選手と全日本選手権に出場されるなどの経緯があり、共闘するなどするようになりました。
かつての強敵と共闘して戦うなど、男では胸が熱くなるようなシチュエーションですね。
負けを負けとせず、挫折せず諦めずに活動をつづけた敷根崇裕選手のフェンシングに対する熱意を感じるエピソードです。
敷根崇裕選手が出場したグランプリドーハ大会はオリンピックへの出場を兼ねた選考レースでもありました。
大会開催前は敷根崇裕選手のランクは日本人選手トップで世界ランク20位。
オリンピックランキングは23位でしたが試合後に更新された国際連盟のランキングでは日本人上位の12位に浮上しました。
敷根崇裕選手は団体戦で出場権を得ている地域や国の選手を除いて個人ランキングでアジア・オセアニア地区の上位2位以内に入ったため初めてのオリンピック代表に内定しました。
個人戦でオリンピックの出場権を満たし日本代表となったのです。
今日の練習で祝っていただきました!
コーチ、スタッフ、男子フルーレみんなありがとうございます!#誕生日 #男子フルーレ #フェンシング https://t.co/Gtn32mYHkE pic.twitter.com/j5IGr4iVS3— 敷根 崇裕 (@st_fencing) December 7, 2019
こちらのツイートは2019年12月7日、敷根崇裕選手が22歳の誕生日を迎えた時のものです。
当時も父親である裕一さんがNEXUSのフルーレコーチを務めていたので、彼も写っているのでしょうか。
敷根崇裕選手の後ろに立っている人物が父親の裕一さんかもしれませんね。
敷根崇裕の両親や兄弟の経歴もすごい!
[スポーツ] 新強化本部長に敷根裕一氏が就任/フェンシング (サンケイスポーツ):… https://t.co/zuPtYUyYZu
— CEEK.JP NEWSbot/test (@CEEKJPNEWS) October 30, 2016
敷根崇裕選手の父親は、敷根裕一(ゆういち)さんという元フェンシング選手です。
こちらが裕一さんです。どこか崇裕選手に似た面影がありますね。
鹿児島県立南高等学校、崇裕選手と同じ法政大学でフェンシングをしており、全日本選手権2位という記録を保持しています。
指導者として、かつては大分県の津久見高等学校でフェンシング部の監督をしていましたが現在では活動地を移し、NEXUSフェンシングチームでフルーレのコーチをしています。
NEXUSと言えば同じく東京オリンピック出場のエペ選手見延和靖さんも所属している最大手のフェンシングチームですね。
他にも女子フルーレの西岡詩穂選手、女子サーブルの青木千佳選手も所属されています。
敷根裕一さんも幼稚園の頃からフェンシングをしているなど、かなり幼いころからフェンシングに慣れ親しんでいたようです。
そして培ったスキルを元にフェンシング選手として活躍し、その後はフェンシング部の監督、NEXUSフルーレコーチなど生涯をフェンシングに捧げている人物と言ってよいでしょう。
そんな父親を見て育ち、父の指導のもと練習を積んだ敷根崇裕選手が若いころから大会で活躍し、2021年にオリンピックの選手として出場が決まったことは父親として誇らしいですね。
敷根崇裕選手に多大な影響を与えた人物です。
ちなみに、リオデジャネイロオリンピック後に日本フェンシング協会の強化本部長に就任し、2018年7月まで同職を務めています。
母親は敷根直子さんです。
敷根直子さんもかつてはフェンシングの選手で、国体にも出場したことがあるなどかなりの腕だったことがうかがえます。
その他はあまり詳しい情報は出てきませんでしたが、敷根崇裕選手がオリンピックの出場する際には彼のサポートなどとして活躍されるのかもしれませんね。
兄は敷根章裕さんです。
兄である章裕さんもフェンシングの選手で、父親である裕一さんや敷根崇裕選手と同じ法政大学に進学しました。
そこで、フェンシング部の主将を務めるなど活躍されていたようです。
このように敷根崇裕選手の家族はみんなフェンシングとともに育ちかなりの実力者揃いの家族であると言えます。
フェンシングのエリート一家です。
このような家庭に育てば敷根崇裕選手がオリンピックに出場されることに不思議はありませんね。
なるべくしてなったと言って良いかと思います。
まとめ
以上フェンシング・フルーレ選手として東京オリンピック出場が決まっている敷根崇裕選手についてまとめ、見てきました。
幼いころからフェンシング選手一家で育ち特訓を積んできた敷根崇裕選手が今後どう活躍するのか、期待していきたいですね。
彼も優勝候補の一人なので、目が離せません。